Rita's art of life.

人間の研究をしています。

スターウォーズ ep9 スカイウォーカーの夜明けを哲学する。

12/20公開のスターウォーズ最新作にして完結編、スカイウォーカーの夜明け。すでに2回鑑賞してきました。

 

スターウォーズを始めて観たのはep7。

何とは無しに飛行機の中で観たのがきっかけで、どハマりしました。旧三部作の登場人物を誰一人として知らないのに、男子が好きそうなやつね、と思ってたのに、まさかのどハマりです。

 

なぜかと言えば、スターウォーズは人間の光と闇をこれでもかと描いた物語であり、ただのSFアクション映画ではなかったからです。

 

家族の因縁や自分の弱さ、恐れとひたすらに向き合い続ける主人公たちの心の動きは、そのまんま自分の体験していることでもあり、わかりすぎて毎度涙腺が大暴発してしまうのです。

 

わたしは今年週1本以上映画を観ることを決めて、現時点で54本の作品を観ました。良くも悪くも作品づくりのパターンがわかるようになり、目も肥えてきたと思います。

 

スターウォーズを映画作品として観ると、何から突っ込んでいいのやら、というくらいツッコミどころは満載だと思います。そんな急展開ある!?そのキャラ必要!?みたいなことがたくさんあります。

 

でもそんなことはもはやどうでもいいくらい、ジェダイナイトたちの葛藤がリアルで、まるで他人事とは思えなくて、辛くて辛くて辛くて最高に美しいです。

 

離れていても通じ合えるフォースの力も、今でいえば量子力学の話なんだけど、42年以上前にこのストーリーができたことがすごい。宇宙的なインスピレーションが、ジョージ・ルーカスを選んだとしか思えません。

 

ジェダイになるための修行は、武術にフォースに、様々あるのだけれど、本懐は間違いなく心のあり様。

 

恐れに負けない。

本当の自分を恐れない。

怒りと憎しみに身を任せない。

孤立したと思わない。

忍耐強くあれ。

 

肉体の修行をしながら、心を強く持つこと、仲間を信じることを教えてくれる映画です。

 

ダークサイドの力は強い。でも負けない。

スターウォーズには人生が丸ごと詰まっています。

 

Rita.

 

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あの梅雨の夜にわたしは Inspired by「そっけない」

 

 

音のない部屋で、彼の息遣いが耳に届く。

この手を握って、わたしはどうするつもりなんだろう。

 

 

同期の誰かが企画したお食事会という名の合コンは、正直あまり気が乗らなかった。

 

昔は誰とでも仲良くやって、どちらかといえば人懐っこい方だったと思う。

いつからこれほどまでに、人付き合いが適当になってしまったんだろう。

なんとなくその場を楽しみながら、時間が経って汗をかいたレモンサワーに視線を落とす。

 

それでも今日は‘当たり’の部類だ。

隣に座っている男子は顔も好みだし、ファッションや音楽の趣味も合う。

話していて特に違和感がなく、普通に楽しい相手だ。

 

「もう一件、行かない?」

「おお、行こっか」

 

この雑踏から一人になるにはまだ早い時間だったから、何とは無しに声をかけた。

バーでの時間は想像以上に楽しくて、大好きなお酒の話や、最近観た映画の話もした。

さっきの店では気づかなかったけど、カウンターに置かれた彼の手にどことなく色気があって、「好きな手だな」と思った。

 

男の子と二人きりで、こんなに酔っ払ったのは久しぶりだった。

それでも、楽しい夜は終電とともに終わりを告げる。

改札まで送ってくれた彼に、何度か振り向いてバイバイをする。

 

 

 

わたしが酔っ払って帰る時、必ず駅まで迎えに来てくれてたのにな。

一人で歩く帰り道は、少しだけ長く感じた。

 

 

しばらくは仕事で忙しくなった。

忙しくなった、と言ってもわざわざ忙しくしているのは自分だ。あの部屋に一人でいる時間をできるだけ減らしたい。

例のお食事会の幹事から、あの夜二次会をしたことについてしつこく聞かれたけれど、適当に流した。

実際彼はあの後も頻繁に連絡をくれたり、映画に行こうと誘ってくれたりもした。

けど、これ以上深い関係になるのは気が進まない。自分の心を誰かに奪われることは、向こうしばらくあって欲しくない。

彼が少なからず好意を持ってくれていることはわかるけど、それが伝われば伝わるほど、わたしは返信することができなくなっていた。

 

 

仕事がひと段落した頃には、6月になっていた。道端の紫陽花が綺麗で、わたしが一番好きな季節だ。

昔から入学式などのイベントごとは見事に雨で、身内からは散々雨女と言われてきた。

でも、雨が降るとなんとなく元気が出る。

大好きなレインブーツを出してきて、濡れることを気にせずジャブジャブと歩く。

普通の人は嫌がるかもしれないけれど、空気いっぱいに水分を含んだ、このみずみずしい季節が好きだ。

 

 

雨の街中を歩いていると、一瞬で体の全細胞が固まった。

間違いない。元彼のタバコだ。

人間の全反射神経が、こんなにも活動することってあるのだろうか。

自分の女々しさに嫌気しかない。

 

家に帰ってきてシャワーを浴びても、あの香りが鼻の奥に明らかに残っている。

 

タバコを持つ彼の手が好きだったこと。

自分の部屋では吸って欲しくないから、いつもベランダで吸ってもらっていたこと。

彼がコンビニで買うときの番号を、早々に覚えてしまっていたこと。

すっかり忘れたはずの記憶が、湿度を含んだ空気と一緒に身体中を埋め尽くした。

 

どうにも居られなくなって、スマホを手に取る。

すでに23時を回ろうとしていた。

 

こういうことをしてはいけないんだろうな、と思いながら、

既読スルーしていたトークを開く。

 

 

「部屋に、虫が出てね。来れたり、しないよね?笑」

 

 

我ながら最低だ。でも、今夜を一人で過ごすことが耐えられなかった。

 

 

1時間も経たずに、彼はわたしの部屋にいた。

記憶から引っ張り出されたタバコの匂いが充満していたわたしの部屋。

 

二人でこの部屋にいることもできなかったので、駅前のカラオケに移動した。

薄暗く狭い部屋に入ると、久しぶりにお互いの話をした。

話をしながら、時折彼の視線がわたしを捉えているのがわかる。

 

「どうしたの?」

「あ、いや、ううん。なんでもない」

 

そういってグラスに伸ばした手がやっぱり好みで、綺麗だった。

 

 

彼はきっと、すごく優しい人だ。

このまっすぐすぎるほどの気持ちに応えることができる、純粋無垢な女だったらよかった。

そうでないわたしは今夜、残酷すぎるほどに彼の優しさを利用している。

 

「なんか、こういう時間好きかも」

 

ソファに置かれた彼の手に、ゆっくりと自分の手を伸ばす。

 

 

音のない部屋で、彼の息遣いが耳に届く。

この手を握って、わたしはどうするつもりなんだろう。

 

 

 

END

 

 

こちらのストーリーは、カツセマサヒコさんの『あの梅雨の夜に僕らは Inspired by「そっけない」』にインスピレーションを受け、女性側の「わたし」サイドを創作させていただいたものです。

rarirurecords.jp

 

Rita.

 

 

創作活動の一番の味方となるもの

 

自分が何か作品を生み出す時、「良い」「好きだ」と言ってくれる人が現れたとしたら、必ず「よくない」「好きじゃない」という人も同時に現れる。

 

私は映画が大好きで、自分の感性を磨くためにも、週に1本以上観るようにしています。

先日予想を大幅に超える素晴らしさで感動した作品が、「キングダム」です。

 

発行部数3600万部を超える人気漫画の実写映画化。

昨今の実写映画化ブームは、配給会社が手っ取り早く売れる映画を作るために、すでにファンの付いている作品を片っ端から映画化している結果だそうで。当然作品が残念な結果になることも多く、「漫画の実写映画化」と聞くだけで、またか・・・とうんざりしてしまう人もいるようです。

 

私はというと、普段はこの実写映画化というジャンルのものをほとんど見ないので、特に過度な期待もなく、フラットに観に行きました。

 

当然「外すかもしれない」というある程度の覚悟はしていましたが、

結果は全くの予想外で、ものすごくよかったです。映画の感想を今日は書きたい訳ではないので、ご興味のある方は私のfilmarksからご覧ください。

りたさんの鑑賞した映画 | Filmarks映画 https://filmarks.com/users/rita9999

 

 

この映画を通して何を言いたいかというと、冒頭の一文です。

自分が何か作品を生み出す時、「良い」「好きだ」と言ってくれる人が現れたとしたら、必ず「よくない」「好きじゃない」という人も同時に現れる。

 

実写映画がわかりやすいので例にすると、すでにファンがついている作品に手を加えるって必ずや賛否両論が巻き起こるものだと思うのです。

監督やキャストは、それを十分に承知した上でこの作品を作るわけです。

ネット上には当然のように、「この役はこの俳優じゃない」とか「この部分カットしないで欲しかった」「原作の良さがなくなった」とかネガティブなコメントが出ますよね。

 

でも彼らは作るんです。それも織り込み済みで。周りにガヤガヤ言われたとしてもやるんです。

 

私は、彼らが創作活動においてのお手本だなと思いました。(商業映画が創作活動なのか経済活動なのかというのはおいといてください。)

 

自分で何かを創作して世に出す時、例えばこのブログでも構わないのですが、

「良い」という人もいれば「よくない」という人もいます。

でも私たちはそれに一喜一憂してしまいますよね。

人の目が気になって100%の自分の内側にあるものを表現できなかったり。

 

そういう時に必要なマインドが、「自分は好きだ」と思えることではないでしょうか。誰がなんと言おうと、自分がめちゃめちゃかっこいいと思う作品ができた。生み出した自分が一番ときめいてる。自分が作ったものが好きだ。

 

これは感情なので、どこの誰にも否定できるものではありません。

「この映画は素晴らしいです」という意見に対しては、「私はそうは思わない」という答え方ができますが、

「自分が一番興奮してるんです」という感情に対して、「あなたは興奮してないよ」とは言えませんよね。

 

つまり、自分の中のワクワクやドキドキは、誰も侵せない。

それってすごいことじゃないですか?他人に触られない絶対がそこにあるんです。

 

キングダムのメンバーたちも、なんやかんや言われるのはおいといて、

自分たちがかっこいいと思うもの撮ろうぜ!って感じだったのではないかなと思います。だってかっこよかったもの。

 

改めて、感情ってすごいものだなと思います。

創作活動において、感情を上手に使っている人ってこんな感じなのか、という体験でした。

 

Rita.

 

老いて体が動かなくなる理由

人間の体がだんだん利かなくなっていくのは、周りの人に頭を下げるためかもしれないと思った。

 

人は傲慢で、自分がなんでもできると思ってしまったり、人間界だけでこの世界が回っていると勘違いしたりする。

謙虚でいよう、と心がけていても、自分が自分がという気持ちは時たま出てきてしまうものだと思う。これはもう仕方がない。

 

そこで私のおばあちゃんの話。

おばあちゃんは田舎で三人姉妹の長女として生まれ、昔ながらの慣習でしっかり婿をとり、代々続く家を守ってきた女性だ。

兼業農家だったので、毎朝畑のお世話をし、冬に備えて保存食を作り、家の片付けをし、とにかく足が止まらない。

祭りで人が来るとなれば、何人分ものお布団やお茶碗を用意しておさんどんをするし、

先日私が泊まりに行った時も、あばらにヒビが入っているにも関わらず布団を干してふかふかにしておいてくれた。

 

とにかく動く。座れと言っても座ってくれないのがおばあちゃんだ。

 

そんなおばあちゃんが、最近少しだけ、私に頼みごとをするようになってきた。

もう何度も足を手術していて、階段の上り下りや足場の悪いところが辛いようで、二階にある布団を取ってくれだの、畑にあるエンドウ豆に支柱を立ててほしいだの、と依頼をしてきた。

 

これは結構珍しいことなのだ。

足も痛くてあばらも折れてるので、人に何かを頼まなければやっていけないと思うだろうが、多分今までのおばあちゃんなら自力で頑張っていたと思う。でも、今回ばかりはかなりしんどかったのかもしれない。

 

実際依頼を受けた「エンドウ豆に支柱を立てる」という作業は、まず150cm程度の支柱を10本抱えて、畑に運ぶところから始まる。おばあちゃんの身長は多分、支柱より低い。

今までよくこの仕事を一人でやっていたなと、尊敬や驚きと同時にやや呆れの感情になった。

 

本題に戻ると、こんな風に自力でゴリゴリと生きてきたおばあちゃんも、ついに頼みごとをするようになってきたのだ。体が利かなくなってきたことで初めて、人に頼るという選択が出てきた。

 

これって我々現代人にとって、 本当はすごく必要な体験なのではないか、と思いました。

今はなんでも一人でできる時代で、お隣さんに醤油を借りたり、作りすぎた煮物をおすそ分けするなんてことはまずない。都心部ではお隣さんの顔さえ知らない人もいるだろう。

 

なんでも自分で好きなようにできる時代。その分、人に頼るというカードを切らなくなってきている。人に迷惑をかけないように、という教育を受けてきた人も多いと思うし、その結果、私たちは自分一人で生きていけるような錯覚に陥っているかもしれない。

 

しかし本来の人間というのは、酸素の供給や栄養素の生成さえも自分ではできず、植物や動物に命を支えてもらっている、生態系の小さな小さな、小さすぎるかもしれない一存在だ。

 

 人に頼らず生まれて、勝手に育ち、死んでいくことなどまずできない。そもそも両親の縁がなければ生まれてくることも自分では選べない。

様々な技術の発達で、人間はなんでもできる!と思って生きていても

体にガタがくることで、人に頼むという選択肢を思い出すことで、支えてもらって生きているという気持ちを思い出せるのかもしれない。

 

Rita.

 

令和のスタートと10連休が映す未来

こんにちは。

長かった10連休も間も無くおひらきになろうとしています。

お仕事だったサービス業の方々、本当におつかれさまでした。

 

この連休中、色々なところへ出かけました。

お休みを楽しんでいる人たちの空気感は、いつもの土日よりもさらに開放的でした。

30日と1日には長雨のなかで退位と即位の儀式があり、

長い休日と相まって、不思議な非日常感を醸していたように感じました。

 

お仕事だった方には本当に申し訳ない表現になってしまうのですが、

この10連休をつくったことは、新しい時代を先取りして体験するためにとてもよかったと思います。

 

きっと遠くない未来には、お金のために週5日労働するということがなくなっていきます。働くとしても、自分が好きなことを自分の意思でやるのが普通になると思います。

 

昔は生活のために、好きでもない仕事を朝から夜までずっとやっていたんだよ、

と言われる日がきます。

 

今回の10連休では、その遠くない未来の空気感を感じられました。

1、2日休んでもまだまだお休みがあって、心身ともに余裕がある状態。

明日からまた嫌なことをしなければいけない、とか

休みの日なのに疲れたくない、とか

そういうネガティブなエネルギーを感じませんでした。

 

意識の集合体というのはすごいもので、

嫌だなーという感情が日本全国を渦巻いていたら、健康になるものもならないですし、

心底豊かな気持ちで生きるのも大変です。

 

でもそのうちに、生きるための仕事ではなく、好きでやる仕事

好きで生きる人生、好きで選ぶ毎日の過ごし方、と変わります。

 

みんなの好きで回っていく新しい時代。

令和や、そのさきの元号の時代が、そんな変化のある時代になるでしょう。

 

まずは自分から、ほんの少しずつでも、嫌だなと思う時間を、好きだな、幸せだな、豊かだなと思える時間に、変えていこうね。

 

難しいと感じる人は、いつもの選択を変える勇気を。

わたしも細部にこだわり、見ないふりをしたり、なんとなくOKかなと納得させていた部分を、少しずつ変えていきますね。

 

元号、令和。

おめでとうございます。

 

 

Rita.

イチロー選手の引退インタビューと、映画「この世界の片隅に」を観て感じたこと。

 

どんな時代にも、どの人にも、

それぞれの苦しみがあって、

それはその本人にしかわからないこと。

 

一人一人がそれを抱えて生きているんだということに想いを馳せれば、少しだけ人に優しくなれるかもしれない。

 

‘自分が何をやるか、やらないか

どんな人生にするべきなのか’

という、正解はないけど選択肢のある悩みは、

苦しい中でも幸せな部類の苦しみだと私は思いました。

 

過去に、進路選択に悩んでいた頃、

恩師が言ってくれたことばがあります。

 

「悩めるということは幸せなこと。選択肢があるということだから。」

 

人によっては、一択しかない状況の人もいる中で、

悩めるというのは、ちょっとだけ贅沢なことなんだろう。

 

でも、正解がない中で自分だけの正解を探して生きるのも、とっても大変なこと。

人によって感じ方は違うし、どっちが大変とは言えない。

 

わかっているのは、みんなそれぞれに苦しいこと辛いこと、悲しいことがあって、

それでも生きているということ。

それをちゃんとわかっておかないと。

自分だけが辛いと思い込んでいたら、不満が溜まって他者を攻撃してしまうだろうな。

 

みんなそれぞれに荷物を抱えて、一生懸命生きているんだということ。

その点においては、全員が同じ仲間なんだということ。

すぐには実践できないかもしれないけど、少しだけ周りの人に優しくしたいと思いました。

 


イチロー選手の引退

https://www.asahi.com/articles/ASM3Y2P89M3YUTQP001.html

https://www.youtube.com/watch?v=MoschCm4-XE

映画「この世界の片隅に

https://konosekai.jp/