Rita's art of life.

人間の研究をしています。

one-nessとtwo-ness

 

 


ここ1ヶ月くらいの題材。

はじまりは、かぐや姫の物語を見たことから。

 


今でもたまに、どうしようもないさみしさに苛まれることがあります。

大元に還りたいなって。全てが一つだったところ。孤独のないところ。

 


人間としていきていたら、どうしたって分離があって、どんな人ともわかり合うことはできないから。

それを選んで生まれてきたとて、やっぱり一つになることを求めてしまう。完全な理解者を探しては、やっぱりいないと落ち込む。当たり前なのだけど笑

 


鬱期を経験して、そのあと右脳に振り切っていた時期に、いわゆるone-nessの状態を体験した。

この状態が、この娑婆でも続くように。現実世界でも、愛で在れるように。地上天国は、心の持ちようでどうにでも作れる。

 


そんな風に思って、この2年間を過ごしてきました。

 


でも、最近のメッセージはそれとは違うもの。

「私は生きるために生まれてきたんだ。鳥や獣のように。」(かぐや姫の物語

 


つまり、自由に、泣いて笑って、感情むき出しのままに。

 


そしてtwo-nessという言葉を見かけた。

one-nessに対比する言葉として選んでいるのだと思うけど、言い得て妙。

 


つまり、この地球には陰陽があり、男女があり、勝ち負けがあり、孤独があり愛がある。

両極が在る世界。

それがtwo-ness。

 


one-nessは、全てが一つ。ただ愛がある。だから、それを孤独の反対に在るあたたかいものだとか、やっと出会えた素晴らしいものだとは感じない。

 


地球でいう空気のようなもの。無意識の時でさえ存在している、当たり前のもの。

だからそれに心打ち震えたり、感動することはできない。

 

 

 

かぐや姫が最後船に乗って帰って行くときの、あの表情みたいな感じだ。無。喜怒哀楽も、何もない。

 

 

 

この地球では、色々な対立がある。感情がある。

極が存在する。

だから反対側に達したときの感動も存在する。

 

 

 

孤独が長い人であれば、理解しあえる誰かと出会えたときの喜びを。

 

 

 

自分を受け入れ、共感してくれる誰かと出会えたときに、感謝や感動を味わえるのは、その前に対極を経験しているから。

 


どちらか一方であれば、その喜びは絶対に味わえない。

 

 

 

だから、この地球でone-nessを目指して、穏やかな心の在り方を目指すことも正解だし、

逆に、思いっきり感情を爆発させて怒ったり泣いたり、ぐらんぐらんにバランスを崩して辛い思いをするのも正解なんだと思う。

 

 

 

そういうことをするために、わざわざ地球に来たのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Rita.

 

 

 

 

 

 

この記事が出てくるまでの間に見聞きしたもの

 


かぐや姫の物語 スタジオジブリ

 


生きてることが辛いなら 森山直太朗

https://youtu.be/4oTU_2Q-6xM

 


Mr.Children

https://youtu.be/3NUZ7AfAksI

 


ブログ

http://truth.attraction-method.net/2014/02/01/宇宙人の視点-~サンフランシスコより/#.WxjTCxbqaEc