妻が願った最期の「七日間」
読んでみました。
この本の元は、今年の3月に朝日新聞朝刊の投稿欄に掲載された詩です。
この詩が19万いいねやらシェアやらを獲得し、その後テレビでも特集されて話題になっていました。
ガンが見つかり余命宣告をされた女性が、もし7日間の元気な時間があったら、という願いの元に書いています。
ちなみに詩に書かれていたのは、手作りの料理や裁縫をしたり、お片づけ、ドライブ、家族の誕生会、女子会、そして旦那様との静かな時間が欲しい、など日常のごく当たり前のこと。
それすらも、もう望めないから願いとして詩になったのでしょう。
私がこの本を読んだファーストインプレッションは、たぶん多くの人と同じで号泣だったんです。うっかりスタバで読んでしまって、涙で前が見えなくなりました。カウンター席で、前が壁で本当によかった。
でも、落ち着いて後から考えると全然違う観点が出てきました。
なぜこんなに共感を呼ぶんだろう。なぜこんなにシェアされるんだろう。
なぜテレビ局は取り上げたんだろう。
配偶者や家族の死というのは、全人類が経験する当たり前のことなのに。
普通、本になったり映画になったりする題材は、珍しい出来事です。
弱小野球部が強豪に打ち勝つジャイアントキリングとか、
超庶民の出なのに大富豪と出会って恋に落ちるとか、
1万人に1人の難病を抱えながら周りと共に力強く生きるとか。
しかし、この詩のなかで語られることはとても普通のことです。
老後に奥様に先立たれたという経験も、1万人に1人かと言われればそうではありません。
ではなぜこの詩は19万人もの人がいいねしたのか。
テレビ番組が特集を組んで、しかも本にまでなったのか。
それは、「幸せの価値観が変化してきている証拠」だと私なりに分析しました。
数年前までは何かを「成し遂げる」というDOの力が社会を占めていました。
人生で何をするか?今まで何をしてきたか?これから何をすれば豊かになるか?
という価値観で考えている人の割合が多かった。
しかし、2017年を皮切りにDOのエネルギーを凌駕し始めたのが、BEです。
存在自体に価値を感じる人の増加。
人生は何を成し遂げるかではなく、「どう在るか」が大切だという価値観です。
今生の終わりに自分の人生を振り返るとします。
そこには、誰かを愛したことや、誰かに愛されたこと、
誰かと過ごした時間が思い起こされるのではないかと思います。
もちろん、その中に仕事を一緒にして感動した経験もあるかもしれません。
でも、その時の営業成績や、ボーナスの額は思い出さないかもしれません。
何が言いたいかというと、
たぶん、誰とどんな時間を過ごしたか、誰に愛されたか、誰を愛したか。
この辺りをメインに思い出すのではないかと自分の臨終に対して推測しています。
そして、幸せだったなぁと思って目を閉じるんだと思います。
亡くなった容子さんが詠んだ詩は、日常にある当たり前のことばかり。
でも、1日ごとに、必ず「誰か」が出てきます。
たぶん、とても愛していた「誰か」です。
日々の当たり前のことが書かれた詩。
二人の生のやりとりを通して感じる強烈なリアリティ。
この本を読むと、誰もが自分の大切な誰かを思わずにはいられないんですよね。
それが19万人のいいねの理由ではないかと思います。
たった七日間。
されど七日間。
この「最期の七日間」を、自分だったらどう過ごすか。
時間をとって考えてみようと思います。
Rita.
追伸
公共の場で読まれる方は、前が壁の席がおすすめです。