もやしときゅうりの話。
人はできないことがあるのを「悪い」と捉える傾向がある。
「あなたは●●ができないね。」と言われたら、あなたはどんな風に思うだろうか?
うるさいな、とかほっといてくれ、とかそんなかんじでしょうか。
それとも、そうなんだよね・・・。う・・・痛いところを突かれた。しゅーん。
と思うでしょうか。
このことを自然界の中で考えると、答えは全く違うものになります。
例えば、もやしときゅうり。
もやしに対して、「お前は頑張ってきゅうりになれ!」と言ったとする。
しかし、もやしのタネを撒いている限りは絶対にもやしが出てくる。
途中からきゅうりにはならない。
もちろん逆も然り。
そしてもやしときゅうりの使い所は違う。
もやしは通年美味しく安く食べられるのが良いところ。いわばオールラウンダー。
きゅうりは夏が主役。美味しいだけじゃなく、お盆の時は馬にもなる。しかし冬は高い。
というように、それぞれの輝きどころは違うのだ。
なんでもやしときゅうりなんだよ。もっと分かりやすくしろよ。
と思った人。
バラとたんぽぽでもいいし、
じゃがいもとさくらんぼでもいいです。
では人間に例えるとどうなのか。
算数の苦手な太郎さんに、お前はよし子みたいに算数で1番になれ!
と言っても、太郎のタネで生まれてきたので、よし子にはなれません。
当たり前の話。なぜ人を他の人にしようとするのでしょうか。
私は整理整頓が壊滅的にできません。
加えて車の車庫入れもギャグみたいに下手くそです。
奥行きなど立体構造を把握する能力が乏しいのだと思っています。
サイコロの平面図を組み立てる算数の問題とかが苦手な人はおそらく同士です。
それを私の友人は正面から「ほんと整理下手くそだね」と言ってくるわけなのですが、
正直最初はイラっとしたりくそーと思ったりしていたんです。
しかし、ある日その友人が部屋と冷蔵庫の中身を片付けてくれた時、
あまりに早くて美しくて、機能的に片付けてくれたので、正直びっくりしたんです。
そしてそのあとすごく使いやすくなった。
そこで、私は知りました。
あ、私は本当に苦手なんだ、と。
友人はそれを一瞬で把握してさっさと片付けていて、
時間も数分しか使っていない。私はどうしようか考える時点で10分くらい考えてる。
しかも出来栄えも友人の方がうまい。
ムムム。
これはこの人に頼んだ方が早い。
得意不得意には、超えられない壁がある。
そう感じた出来事でした。
その後、私は整理整頓が全然できないことを公言するようになり、
「できないもんね。」と言われても、「そう、笑えるほど本当できないのよ。だからよろしくね!」と飄々と言えるようになったのである。
つまり、
「もやしって緑じゃないよね。」
って言われて、
「うん、私は白いからね。」
みたいなこと。
「できないよね。」は、悪口でも攻撃でもなく、
単なる事実。
だったということ。
「そうそう、だからお盆の馬はきゅうりがやってね!」
とスッキリ爽やかに言えばいいのである。
完。