故きを温ねて新しきを知る話。
人は、その時代の新しい情報を探そうとする。宇宙開発やAIについては、確かに今の時代の最新情報が役に立つと思う。
しかし人として大切なことや、人生の本質的なことは昔から変わっておらず、すでに情報はある。
その最たるものが宗教書なんじゃなかろうか。
自分のtwitterから引用。
私は“温故知新”という考え方が好きだ。
理由は二つあって、一つは過去の自分や経験を振り返って学ぶことがとても多いから。
もう一つは、人間の本質的なことは昔から変わらないと思うからだ。
いつの時代も、自分の人生は何が正解なのか?と考えている人は一定数いると思う。
人生を謳歌している時や、生き急いでいる間は考えなくても、死ぬ間際や体が動かなくなった時に、
「あぁ、自分の人生ってなんだったんだろう」と思うひとの割合はかなり高いはずだ。
そういう一定数以上の人たちの中には、私やあなたのように、
若い時から今に至るまで、自分は何者なんだろう、人生はなんのためにあるんだろう、と自問を繰り返してきている人もいる。
前にも書いたかもしれないが、
私は25歳くらいまでの間に、同級生が4人亡くなっている。
高校生の時に2人、社会人になってから2人。
私も明日死ぬかもしれないという気持ちは強めに持っている方だと思う。
一週間ないしは二週間に一度くらいはそのことについて考える。
(もちろん考えない時は、週末までの仕事が、来月の旅行が、とか思ってる。)
その時の気持ちをリアルに考えてみると、
死に際に後悔するであろうことは決まっている。
・愛する人に愛していると伝えなかったこと。
・チャレンジすればいいのにしなかったこと。
この二つに大体集約される。
つまり、人生の答えを出せばよかったとか、仕事で成功したかったとか、
素敵なパートナーと結婚したかったとか、
そういう、普段わりと頭の中を占めていることは出てこない。
これはもう、ここ数年変わっていない。
これも自分にとっての温故知新である。
色々仕事の課題やら恋愛のなんやかんやが出てきても、
「明日死ぬかもしれないし、今できること全部やって、好きな人に好きって言って寝よう。」
で、終わりである。
死ぬ時に持っていけるものは何もないというけれども、
実際に持っていくのは"感情"だ。
「あ〜色々あったけど幸せだったなぁ。」
と思って逝けたら最高。
そんな瞬間のために今日もやることをやり、
好きな人に好きだと伝えましょうか。
Rita.