孤独について「人の最小単位は一人」
最近の研究テーマだった、孤独というものについて。
材料が揃ってきたので中間発表的なものを。
私はわりかし孤独というものに縁があって、(今思えば)自分から孤独な立場を選択することが多かったように思う。もちろんその渦中にいるときは、誰にも理解されない悲しさや寂しさ。漠然とした不安感。理解されないことに対する怒り。そんなようなものが体を占めていたように思います。
しかし、最近は「おひとりさま」「超ソロ社会」などの言葉も浸透してきて、
一人は悪いことではない、という意見もだいぶ台頭してきたように思います。
一人=寂しい
寂しい=かわいそう
という構図が浸透していると、そのインサイトを突くようなビジネスがうまく回ったんだと思います。
結婚を斡旋してみたり、マッチングアプリが流行ったり、友達代行やいいね稼ぎなど、「私、一人じゃないんです!」ということを知らしめることにお金や労力を使ってみたり。リア充=友達が多いみたいなイメージを固定してみたり。
でも最近、たぶんここ2年くらいで、認識が着々と変わってきた。
そもそもみんな一人だし、どんなに友達がいようとも、孤独感は誰にでもある。
孤独は悪いことじゃないし、一人でいる=寂しいやつではない。
そう自認し始めると、同じように考える人の発信がヒットするようになります。
この数ヶ月で目に留まったいくつかの価値観を紹介します。
宇多田ヒカル、休養以前は自分でも苦しそうに歌っていた、とのこと。孤独感と飢餓感が、疾走するリズムに乗って都会を駆けていくような歌い方。休養を経て家族が出来た後も、孤独感は健在。単純に結婚して子供もできてハッピー!じゃない。人の本質は孤独ということを思い知らされる。
— 新井鏡子 (@kyoncy2010) September 23, 2016
出典:
https://twitter.com/kyoncy2010/status/779191798006620160
出典:満たされないまま引きずり回して歩け - ハッピーエンドを前提として
あと、「姉の結婚」という大好きすぎて何十回単位で読んでいる漫画があるのですが、
その中にも同じようなセリフが出てきます。
「二人でいても、人は一人よ。」
同級生の再婚を祝して、主人公が「もうおひとりさまじゃないね!」と声をかけるのですが、そのとき彼女が真面目に返す言葉です。
つまるとこ、人の最小単位は「一人」からなのです。
家族や夫婦が人間の最小単位だと思ってきましたが、そうではなかったかもしれません。
私たちは全体から来ていて、今はわざわざ"個"というものを体験しに来ています。
個が活きる社会、個が活躍する時代というのは、自分の才能が突き抜けるということ。周りと同じではないということ。
それぞれが、誰とも被らない能力で、自分だけの人生を切り拓いていくのだから、
誰とも分かり合えないのは当たり前と言えば当たり前のこと。
だから宇多田ヒカルのように、旦那がいようとも、血を分けた子がいようとも、孤独なことに変わりはない。
全体ではなく個で生きてみたいと願った全員が、もれなく孤独感を持っていて、それは悲しいことではなく、自分で望んできたことを体験しているだけなんだと思います。
One-nessからTwo-nessの世界に来て、その間だけ実感できる「自分」という輪郭。
理解されないのが大前提。だからこそ“あなた”が成立するのではないでしょうか。
悲しくて、寂しくて、孤独でしんどくて、もういなくなってしまいたい。
と思ったら、それこそが全体ではなく個を体験するということなんだ、と見方を変えてみてください。
中間発表終わり。
Rita.
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