Rita's art of life.

人間の研究をしています。

全部に「いいね」

 

昨日友達と話していて、とっても驚いたことがあったのです。

 

私は20代前半でものすごく稼ぐぞー!と思ってお仕事をがんばって、その結果体が壊れて、2年近くお休みしたのち田舎に引っ越し、海の近くで暮らしている、という背景があります。

 

昨日は、どんなときに幸せを感じるか?という話をしていました。私にはのような出来事があったので、いまは本当に何気ない日常、ごはん、夕焼け、映画とか、一つひとつが大切で、幸せに感じています。

 

その流れで、

「いや~なんか死ぬときにめちゃくちゃ稼いで幸せだったなって思わないと思うんだよね笑」

と言いました。

 

そしたらその友達は、言ったのです。

「でもお金稼ぐのが幸せって人もいるでしょ」と。(ちなみに彼はそのタイプではない)

 

字面だけ見たらその通りなんだけど、これが私にとってはすごくえぐられたような気持ちになりました。

 

なぜかというと、自分のかけている色眼鏡に気づいたからです。言われた瞬間気づきました。

 

わたしは、仕事やお金に猛進していた人が、精神的な充足に気づいて変化して行く様子をたくさん見てきました。自分もその一例です。

 

それに対してはいいも悪いもないのですが、わたしは知らず知らず、お金を稼ぐことや猛烈に仕事をすることは、精神的な充足よりも下で、意識が変化した人はみんな、精神的な幸せにたどり着くものだと勝手に思い込んでいたのです。「アミ 小さな宇宙人」的なことですね。

 

スピリチュアルが好きな人、大自然の中に住んでいる人、一回体や心を崩したり、身近な人の死に触れたことがある人だったら、同じように思う人も多いかもしれませんが

 

でも!でも!!

わたしものすごくジャッジしているじゃん。って思ってびっくりしたんです。もしかしたら、お金を稼ぐということや、仕事を朝から深夜までやっている毎日が最高の幸せっていう人もいるかもしれないのに、そんなことは一切頭になかったのです。。

 

自分のかけてるメガネがエグくてちょっと引きました。こういうのって小さいことだけど、相手を否定している発言。争いの元だよなって。

 

一人ひとり、幸せの尺度は違うものだし、それを評価したりコメントしたりする必要はなくて、ただ「そうなんだ。それもいいね。」って言えたらいいなと。

 

「あーこの人はまだ働きまくりたい人なんだな。」とか思って、ジャッジしまくっている自分にほんと反省です。何様って感じでした。

 

まぁでも、わたしの幸せは毎日のお布団だし、ご飯だし、好きなお洋服を着て、好きな人と過ごしたり、素敵な芸術作品に出会ったりできることです。

 

それも「いいね」ということで。

色眼鏡、気をつけようと思いました。はい。

 

 

Rita.