【研究発表】 自分への還り方 ②
②自己分析をする
自分とは何者なんだろう?
という疑問が社会人になってから度々湧いていました。
必ず終わる命なのに、自分は何を求めて働くんだろう。ステイタスか、お金か、はたまた尊敬の念や羨望の眼差しなのか。
営業の世界で言われているような数字目標や、コミットする理由は、最初こそ無我夢中でやっていたものの、一度手に入れた後ではどれもいまいちしっくりこず、以前のようには働けなくなっていました。
自分をドライブするものは果たして何なんだろうか?
自分とは、何が得意で、何に喜びを感じ、何に落ち込む人間なんだろう?
と、新たな疑問が頭を占めていて、考える前にがむしゃらに動く!ということがしにくくなっていました。
自分を動かすためにも、自分の輪郭を少しでも知りたくて、とにかくたくさんの自己分析に時間とお金と労力を投下しました。
簡単な自己分析や占いにはじまり、
個性心理学
西洋占星術
ウェルスダイナミクス
マヤ暦
算命学
オーラ診断
ヒーリング
16personalities
ストレングスファインダー
などなど…
学術的なものから今考えると怪しそうなものまで、目に付いたもの、興味があるものを次々に試していきました。書き出したら思った以上に多かったです。
情報を入れ、知識をつけていくと
自分にはこんな性質があったのか、自分はこういうことされるとたしかに嫌だな、嬉しいな、など、大まかな輪郭がどんどん見えてきて、一時はかなり生きやすくなってきたように記憶しています。
ですが、自分自身や、人間関係は生ものです。
分類に当てはまらないこともたくさんあります。
当時は新しい知識を入れるのがとても楽しく、自分はちゃんと勉強している!という安心感もありました。
しかし、その分知識ばかり頭でっかちになりすぎてしまい、人を初めからカテゴライズするようになっていることに途中で気がつきました。
自分はこういう分類だから…
この人はこういうカテゴリーの人か…
という先入観がある状態で、自分や目の前の生身の人を視る、聴く、感じることが後回しになっていました。
その結果、自分が分析結果に当てはまらない部分があると自信が陰ったり、不安になったりしていました。
学問や知識はあくまで机の上での統計や傾向で、生身で生きていれば完全に当てはまらない部分が当然ある。
ということが腑に落ちたとき、先入観を持って自分や人を視ることをやめました。
統計からはみ出した自分の可能性を切ってしまうのはもったいない。
良い選択をするために、最終的には考えることよりも感じることが必要だと思います。
自分が何者なのか、自分の輪郭を知るという目的のために、分析というツールをたくさん使い、おそらく24〜28歳の3年半〜4年は"考えて"いたと思います。
そして、目的が果たされたので、ツールは今はリリースされました。
③ 人と関わる
に続きます。
読んでくださる方増えていて嬉しいです。
ありがとうございます。
Ritawater.