【研究発表】 自分への還り方 ④自分と向き合う/内観
④自分と向き合う/内観
自分というものは一体何なのか。
この如何しようも無い分離感や、寂しさ、孤独、自信のなさはどうしたら終わるのか。
本当に自分の心が喜ぶ、大事な使命は、生き方は、何だろうか。
自分の輪郭を知るために、たくさんの分析ツールを使い、統計上の答えを出しました。
人と関わり、嫌だなと思う感情、嫌いだと思う人から逃げずに、その相手の中に自分を見いだしながら、自分ができる限り向き合ってきました。
統計には当てはまらない、自分だけの感情やパターンを知りました。
自分自身のことは、正直自分が一番よくわかりません。
特に「思考」している状態だと、本心ではない仕事上の顔や人間として社会の中で生きる自分という顔が先行して、左脳的に「考えた」ことしか受け取ることができません。
忙しくしていた頃も、わたしはかなり内観をしているつもりでした。
・毎月1日には仕事や人生の棚卸しとして、生きる目的やそれに必要な数字の目標を洗い出す。
・日々セルフカウンセリングを取り入れ、自分がどう在りたいか、どう生きたいかの自問自答を紙に書き出す。
・その日起こったありがたいと思うこと、人への感謝を綴る、感謝日記をつける。
・今日の0時で人生が終わる前提で、家族や友達に遺言を書く。
当時の自分は、すごく自分に向き合っていたつもりでしたし、実際にこれらをやってきたのは、その時の前進を支え、自分を助けていたので、今考えてもすごくよかったと思っています。
しかし今思えば、「仕事で成果をあげるための自分」という仮面がついていたように思います。本来の自分になるための、be myself のための内観ではなかったんだなぁと。
今はたまーに遺言を書いたり、たまーに感謝日記をつけることがあるくらいです。
仮面や世間体などを何も纏っていない状態の、まっさらな「インスピレーション」を受け取るには、できる限り空っぽの時間や空間を創ることが大切です。
体調を崩して働けなかったころ、わたしは自分でも知りようのない宇宙の叡智や、
仏教の法則など、直感がバシバシ降りてきていた時期がありました。
倒れる前は、自分で一生懸命頑張って、動きつづけました。
「もう体も心も限界!止まって!!!」とでも言うかのように、全てが停止し、その後は体力や気力や時間に大きな空間ができました。
そのあいたスペースに、自力でいっぱいいっぱいで、他の何も入らなかったスペースに、自力ではなく、明らかに他力が入ってきていた期間でした。
自分の内面、心の在りどころから噴き出してくる、本当の自分が願うのぞみ。
ふとした時に聴く自分の心の声は、ほとんどの場合正しいことが多いです。
それは、「もう休みたい」の時もあったし、
「もっと愛されたい」の時もありました。
ゴリゴリと自分で動き回っていた時には考えもしなかったことです。
「仕事で成果をあげるための自分」という仮面を外して、
それとは全く関係ない自分の人生を始めた時、大きなシフトチェンジが起こった気がします。
今現在のわたしにとって、自分と向き合う時間はヨガと料理、そしてたまにプールや海です。
呼吸や、体の状態と向き合うこと。自分が何を欲しているかをちゃんと見極めること。
お寺に行って坐禅を組んだり、仏門に入ったり洗礼を受けたりして、
宗教家として俗世を捨てて、日々祈りを捧げる人生もあったのかもしれません。
でも、日常禅という言葉があるように、日々のひとつひとつが本来は禅なのです。
ひとつひとつの行動が、自分の願いと合っているか。
ひとりひとりとの関わり合いが、自分の望んだものになっているか。
内からくる声と日常にずれがなくなってくるのは、心身ともにとても気持ちの良いことです。
どう生きたいかは、全部自分が決めてきていて、
心身のスペースが空けばちゃんと、その声が聴こえてくると思います。
Rita.